あだ名

子ども達に自由にあだ名をつけて貰えるなら何て呼ばれたい?と尋ねたら、全員いま呼ばれているのとは違うあだ名を希望しました。

何で今と同じじゃダメなのか聞いてみると、元々今のあだ名は、自分が希望して呼んで貰った訳じゃなくて、誰かが勝手に考えて、みんなその呼び方をするようになったから、自分の意思が反映されてない。何となくからかわれてるような、イジメられてるような気分になると話す子が多かったです。

それでは、皆にそのあだ名ではなく、自分の呼ばれたいあだ名で呼んで欲しいと 伝えたことがある子どもは一人もいなかった。

周囲のみんなとの関係もそうだが、ある程度距離をおいて付き合いたい、自分に関心を持ってもらいたくない、スポットを当てないで欲しい、そっとしておいて欲しいという子どももいた。

逆に、今までのあだ名も気に入ってはいるが、もっと違うあだ名で呼んでもらうことで、違う自分として周りから扱われることを期待する子もいた。「今は自分はおとなしくて、みんなが関わって来てくれない」変わったあだ名で呼んでもらうことで、みんなに「あいつは変わった」と言ってもらいたいという。

人からの扱われ方が変わると、違う自分になれると思っているところが、今どきの子どもなのかも知れないが、今も昔も、子どもたちの多くは自分が人からどう思われているか?という点をすごく気にする。

自我の目覚めにより、人からなんて言われようと自分は自分という姿を貫く者も出てくるが、他人の目を気にするその傾向は大人になっても続く。

自分の会社での評価が低い、本当はもっと出来るのに誰もちゃんと見てくれない。もっと自分にスポットを当てて本当の自分を見て欲しい。頑張っている自分を評価して欲しい。と願っている。

テレビCMで転職者向けの求人情報サイトのCMをよく見かける。条件は今よりいい会社だそうだが、大前提として、自分は仕事が出来るという設定になっている。差し詰めこんなに仕事が出来るんだから、今よりもっといい会社に勤められるんじゃないか?ということだろうが、甘い期待がひしひしと感じられる。

評価は自分でするものではなく、人からされるもの。現実をちゃんと見て自分自身を判断しないと、陰で人からなんて言われてるか、知らないのは自分だけかも知れないし、会社は転職してくれてホッとしているかも知れない。

転職前に自分を磨こう。

スポンサーリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサードリンク